2007年09月03日
甲子園 長嶋三奈&PR女子高生
甲子園 長嶋三奈&PR女子高生統一
夏の甲子園を彩る長嶋三奈&PR女子高生はここで語れ!
長嶋三奈はなぜ結婚式に出席しないのか?
やっぱりおかしいよなあ〜、あの家。
いくら仕事が入ってるからって、実兄の婚礼だぜ。
もしかしたら、出席したくない(できない)ことをカモフラージュするためにわざわざパリ取材の仕事なんか入れた?
それから、問題になってる他の姉・弟は出てました?
長嶋三奈
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長嶋 三奈(ながしま みな、1968年6月3日 - )は、東京都大田区出身のスポーツキャスターで、テレビ朝日スポーツ局に勤務している。日本大学文理学部哲学科卒業。父は読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄、兄はタレントの長嶋一茂。弟はレーシングドライバーの長嶋正興。
[編集] 来歴・人物
1991年にテレビ朝日入社。スポーツ局で記者として活動し、「ニュースステーション」(スポーツコーナー)や「熱闘スポーツM18」のキャスターを務めた。2000年3月に一度退社したが、2001年2月に契約社員として職場復帰した。
夏の全国高校野球選手権大会のダイジェスト「熱闘甲子園」にも出演中。テレビ朝日の方針により旧字体である「嶋(島)」の字が使えないため、テレビ等では「長島三奈」と表記されることが多い。ただし、父親の茂雄や実兄の一茂の場合は「長嶋」と表記することもある。
[編集] 出演番組
ナンだ!?
熱闘甲子園
全英オープンゴルフ(スタジオ進行役)
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カテゴリ: テレビ朝日 | 東京都出身の人物 | 1968年生
長嶋一茂
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人物に関する記述について
本人が公開としていない個人情報(本名、生年月日、出身地など)の記述、顕著な活動をしていない親族(親戚、兄弟姉妹、配偶者、子供など)についての記述、出典が無いあるいは信頼性の乏しい出典による潜在的に論争となりうる記述、特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する記述、などを見つけたら、速やかに除去した後、ノートにて報告および議論のうえ、合意を形成してください。詳しくは存命人物の伝記やプライバシー問題に関してを参照してください。
長嶋 一茂(ながしま かずしげ、1966年1月26日 - )は元・プロ野球選手(三塁手)。株式会社読売巨人軍球団代表特別補佐、タレント、俳優、スポーツキャスター、野球評論家。ナガシマ企画所属。旧表記:「長島」。東京都大田区田園調布出身。妻は事務所のマネージャーで双子の娘がいる。
4人兄弟の長男で、父は読売ジャイアンツ終身名誉監督・アテネオリンピック・野球日本代表チーム監督の長嶋茂雄。弟はレーシングドライバーの長嶋正興、末妹はキャスターの長嶋三奈。
母方の先祖に相撲の力士(六代目柏戸。最高位は前頭二枚目)がいると、テレビ東京の番組で自ら語っていた。
目次 [非表示]
1 略歴
2 来歴・人物
2.1 父と同じ立教大学出身
2.2 ヤクルトに入団・ミスター2世の重圧
2.3 父のいる巨人へ移籍・親子鷹・怪我との戦い
2.4 コーチに暴言・そして父から戦力外通告・引退
2.5 他球団の監督への波紋
2.6 堀内恒夫との確執
2.7 引退後にスポーツキャスターへ
2.8 パニック障害との闘い
2.9 俳優としても開花・K-1に造詣
2.10 タレントとしての活動
2.11 アテネ五輪での大役他
2.12 巨人にアドバイザーとして復帰
2.13 父との共演
3 エピソード
3.1 ドーピングを告白
3.2 父の伝説
3.3 大学時代と選手時代
3.4 父への親孝行な行動
4 年度別打撃成績
5 書籍
6 出演
6.1 バラエティー
6.2 ドラマ
6.3 映画
6.4 CM
7 関連項目
8 外部リンク
[編集] 略歴
身長・体重:183cm 88kg
投打:右投右打
出身地:東京都大田区
血液型:B型
球歴・入団経緯:立教新座高等学校 - 立教大学 - ヤクルト(1988年 - 1992年) - 読売巨人(1993年 - 1996年) - タレント - 巨人球団代表特別補佐(2005年 - )
プロ入り年度・ドラフト順位:1987年(1位)
英語表記:NAGASHIMA
守備位置:三塁、一塁、外野
中学時代、200m走で大田区の新記録を出した
[編集] 来歴・人物
[編集] 父と同じ立教大学出身
立教大学のOBであることから、小学校からの立教ボーイであると思われがちだが、実際は立教に入ったのは高校から。田園調布中学校、群馬県吾妻郡六合村にある白根開善学校中等部で中学時代を過ごした。高校受験では桐蔭学園高等学校にも合格したが「父親と同じ立教で野球をやりたい」と、立教高等学校(現・立教新座高等学校)に進学した。
[編集] ヤクルトに入団・ミスター2世の重圧
1988年、立教大学からヤクルトスワローズにドラフト1位で入団し、プロ初安打をホームラン(神宮球場での巨人戦、相手投手はビル・ガリクソン)で飾り、『ミスター2世』として注目を集めた。しかし、「ミスター2世」の重圧もあってか、守備でエラーが目立つなど、長期的には成績が振るわず、野村克也監督が就任した1990年以降は出場機会が減少する。野村監督が毎日行うミーティングで一人だけメモを取らないなど、ID野球にまったくついてこられなかったことや選手としてやる気がなかったため、首脳陣からもほとんど相手にされなかった。1992年にはマイナーリーグ・1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学したため、出場機会がなかった。当時オーナーだった桑原潤と野村監督ら首脳陣はその時点で事実上「戦力外」の烙印を押した。
[編集] 父のいる巨人へ移籍・親子鷹・怪我との戦い
1992年秋には、球団から戦力外の烙印を押され、父・茂雄が監督に復帰した巨人へ金銭トレードで移籍(野村監督は父に面倒を見てもらえばいいと思い放出したと思われる)。1993年、巨人に移籍すると、1994年には持ち前のムードメーカーぶりでチームのリーグ優勝、日本一に貢献した。“親子鷹”と騒がれるも、このころには右肘・左手首・右足の怪我が極度に悪化し、1993年秋に渡米して手術。ある程度の回復を見るも、右肘の状況は相変わらず悪いままで成績も振るわなかった。
[編集] コーチに暴言・そして父から戦力外通告・引退
1996年、球団から引退勧告をされ、選手として崖っぷちに立っていた。当時打撃コーチだった河村健一郎からも「やる気がなかったらシーズン途中でもやめろ!」と戦力外の烙印を押されていた。また、巨人ファンからも「来年は田園調布の少年野球のコーチか?」と、やじも飛んだが、シーズン序盤は守備固め等で見せ場を作っていたが、徐々に成績が降下。そして選手としての人生を奪う決定的な事件を起こしてしまう。土井正三コーチから「バントをしろ」と言われたことに対して、「いらねぇよ!何様なんだよ!あんな奴!!」と暴言を吐いてしまい、球団から罰金50万円と二軍落ちと無期限出場停止処分を受けた(本人は冗談半分で発言したと語っているが、それをほかの選手や首脳陣に聞かれたためである)。球団フロントの聴取を受け、「確かにそういう言動をした。ただ思わずクチをついたものだった。前日エラーもあったし、バント練習がうまくいかず自分に腹が立っていた」と釈明した。
同年、日本シリーズ終了直後に、監督で父親の茂雄から「お前は来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告され自由契約となった。自由契約となる最大の理由は、暴言事件で球団オーナーの渡邊恒雄をはじめ首脳陣が怒ったためと言われている。(ただし渡邊オーナーは「代わりに罰金を払ってやってもよい」と発言したとも言われる。)なお、戦力外の通告は家のリビングで行われた。茂雄も現役を続行させたい気持ちがあり、自由契約にした。広島・近鉄・オリックス・日本ハムから獲得の意向があったが、やはり、右肘の状況は悪く、「これ以上、怪我で迷惑掛けたくない」と言い、現役を引退した。不整脈も引退の原因と言われていたが、後にパニック障害であったことを明かした。(後述)
[編集] 他球団の監督への波紋
他の球団の監督も一茂の戦力外を聞いて他球団の監督への波紋が広がった。
戦力外になった事を聞いた当時ヤクルトの監督だった野村克也は「何とも言いようがない。でも(長嶋)監督はよく決断した。巨人は伝統があるし、高いレベルが要求されるからな。」とまずコメントし、「(一茂が)ヤクルト復帰?アホか!パリーグの何処かが取るに決まっとるやろっ!」と再獲得をしない意思をしめすコメントも述べ、スポーツ紙で一茂に対する思いを語った。また、同い年で同僚だった古田敦也も池山隆寛らも一茂の心中を察したのかノーコメントだった。
ダイエー(現・ソフトバンク)監督の王貞治も「長嶋さんの息子の獲得は厳しいね。長嶋さんにも苦労を掛けているしね。」とダイエーも獲得に乗り出さなかった。
中日の監督だった星野仙一は「ミスターの息子は使えんよ。うちはいい選手もおるし、来ても守備が出来る所はないよ。」と中日も獲得しない意向を示すコメントを語った。中日も立浪和義・大豊泰昭らと言った内野手がいた事やポジション争いが激化しており、星野も一茂を使い辛いと見抜いていたと思われる。
阪神の新監督に就任した吉田義男も記者から一茂を戦力補強で獲得するのかの質問に「長嶋さんの息子さんの獲得は難しいですね。うちは資金難やからね。」と阪神も獲得しないコメントを語った。阪神も桧山進次郎・新庄剛志らと言ったスター選手がいた事や仮に獲得しても代打要員しか使えなかったはずである。しかし、その6年後に「ミスター・ルーキー」に一茂が主演で出演し、ある意味「阪神」でプレーした。
ロッテの新監督に就任した近藤昭仁も「獲得する意向はない。実力さえあれば、何らかの形で起用出来るのだが、お父さんにも苦労を掛けて来たんだからね。」とロッテも獲得しないコメントを語った。
横浜監督の大矢明彦も西武監督の東尾修も「長嶋監督の息子は使い辛いし、要らない。」と獲得に乗り出さなかった。
一方で、手を差し伸べる球団もあった。
オリックス監督の仰木彬は「代打要員でもどうかな?」とコメント
近鉄監督の佐々木恭介は「是非、取ってみたい選手」とコメント
日本ハム監督の上田利治や広島監督の三村敏之も「代打なら使えそう」とコメント。
この様にオリックス、近鉄、広島東洋、日本ハムが一茂に興味を持っていたが、結局一茂が引退した為、実現には至らなかった。
[編集] 堀内恒夫との確執
堀内恒夫とは、犬猿の仲である(理由は現役時代に成績が振るわなかったにもかかわらず、ほかの選手と合コンによく行っていたために当時投手コーチだった堀内が激怒したためと言われている)。
[編集] 引退後にスポーツキャスターへ
その後はスポーツキャスターとなり、1997年〜1998年にフジテレビの『プロ野球ニュース』(週末)、1999年〜2002年に日本テレビの『独占!!スポーツ情報』(のちの『THE独占サンデー』)の司会を担当した。
[編集] パニック障害との闘い
2002年から2年間に渡ってNHKのインタビュー番組『わたしはあきらめない!』の聞き手役も務めた。パニック障害を経験したとして同番組にゲスト出演した田中美里に対し、自身も1996年以来同病の経験があり、プロ野球選手として活動中にはバッターボックスにたてなくなったこと、また現在(放送当時)も同病に悩まされることがあることを告白。同病についてのエピソードは、以降に出演した『たけしの本当は怖い家庭の医学』や『オーラの泉』などでも紹介されている。
[編集] 俳優としても開花・K-1に造詣
俳優業も行い、2000年は『NHK朝の連続テレビ小説・オードリー』に出演して(時代劇の剣士役)、好評を博し、俳優としての地歩を固める。2002年は映画『ミスター・ルーキー』・2005年には『男たちの大和/YAMATO』・2004年は、TBSの『サラリーマン金太郎4』、テレビ朝日の『逮捕しちゃうぞ』、2005年の『NHK大河ドラマ・義経』等に出演。役者として演技力を評価されている。
また、極真空手の経験者でもあり、その経験から、フジテレビのK-1中継の司会をつとめている。番組企画で魔裟斗と戦い、失神したこともある。
[編集] タレントとしての活動
『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)ではレギュラー解答者のほか、『知識の泉』のコーナーに出演。西村知美、松嶋尚美、浅田美代子らと共に天然ボケを活かし爆笑トークを展開する。2004年、『さんまのSUPERからくりTV』の中で打倒・松岡修造を目的に明石家さんまらによって結成された『からくりテニス同好会』のメンバーになる。
2004年4月、田中律子、磯野貴理子とともにTBSのお昼の生放送番組『はぴひる!』の司会を務める。だが、視聴率が低く、残念ながら半年で打ち切りとなってしまった。
引退後、日本テレビ系独占スポーツ情報!に定期的に出演していた。その際に、相手チームの選手がファインプレーで巨人のチャンスを摘み取ったのを見て、「敵ながら見事」と思わず漏らしたことがある。当時は巨人のフロントではなく、敵という表現に対して非難が多数寄せられた。
出演履歴は、後述の一覧を参照。
[編集] アテネ五輪での大役他
2004年6月6日、アテネ五輪の聖火ランナーを務める。 2004年6月16日に双子の女児が誕生した。父の茂雄にとっては待望の初孫である。このことは本人が司会を務めるお昼のテレビ番組の中で本人の口により発表された。 2004年、日本テレビのアテネ五輪中継のキャスターに選ばれた。
[編集] 巨人にアドバイザーとして復帰
2005年1月1日より渡邉恒雄球団会長の推薦で読売新聞グループ本社社長室付けスポーツアドバイザー、並びに巨人球団代表特別補佐(アドバイザー)として招聘されることになった。なお、これまでどおり、スポーツキャスター・解説や俳優業は継続する。なお、成績が今ひとつであった巨人OBが球団代表補佐に就任したことは極めて異例だが、現在もほかの巨人軍OBや巨人ファンの間では賛否両論の声がある。 なお、東京六大学野球(早大出身)および巨人の大先輩である広岡達朗が週刊誌で自身を批判したことを弁護士に相談し内容証明郵便で警告書送付した。
[編集] 父との共演
2006年、三菱UFJ信託銀行のCMに父・茂雄との親子共演を果たす。
[編集] エピソード
[編集] ドーピングを告白
前述のキャスターをつとめたアテネ五輪を総括する特集番組では、ドーピング再検査問題の渦中にあったアヌシュについて語る際、「僕も現役時代にステロイドによるドーピングをしていた。検査で何度かひっかかったこともある」と告白。続けて「確かに筋力は増すが簡単に野球の成績に結びつくものではないし、ドーピングは大したことではないと思う。しかし基本的にはフェアではないし体にも悪いことなので再検査命令にはすぐに応じるべきだ」と話した。
[編集] 父の伝説
一茂は小学生の頃、神宮球場でのヤクルトVS巨人戦を父・茂雄と一緒に見に行ったのだが、その手に汗握る試合展開に興奮した茂雄は、なんと連れてきた一茂を球場に置き去りにして帰ってしまう。信じられない話であるが、家に帰って妻に言われて気が付いたのだという。茂雄は慌てて神宮球場に電話をしたところ、一茂は審判室に保護されていた。しかも球場に忘れられたのは1度ではないらしい。
父・茂雄の引退試合を、歯医者に行っていたため見届けることができなかった。
[編集] 大学時代と選手時代
1993年4月23日に、セ・リーグ通算3万号となる記念本塁打を放つ。
1994年5月、巨人在籍中、当時のチームメイトである槙原寛己が完全試合を達成した際は三塁を守っており、キャッチャーよりも先に真っ先に彼に抱きつく。
大学に入るまでカップラーメンを作ったことが無く、大学一年のとき先輩に作ってこいといわれたものの作り方がわからず、容器を壊してなべに入れて作った。
大学ではそのキャラクターゆえか、人望も厚く、キャプテンに選ばれた。また、同級生の池山隆寛をはじめ、チームメートや同級生からはいわゆる「いじられ役」で人気者でもあった。
ヤクルト時代に志願して落合博満と自主トレを行なった際、長嶋家より差し入れとして銀座千疋屋のメロンが届く。一茂がそのメロンを二つ割りにして種を取り、ブランデーを注いで一気に食べる姿を見た落合夫妻は、「子供はこのようにのびのびと育てなきゃいけない」と話し合った と、落合夫人がインタビューで語っている。
[編集] 父への親孝行な行動
2004年3月、父・茂雄が脳梗塞で倒れる。当時、茂雄は野球日本代表監督として、プロ野球12球団の春季キャンプ視察、講演、テレビ出演など休み無く活動を続けていた。その疲れが原因だと言われている。茂雄の病状は重症で、彼の容態を知りたいマスコミが、長嶋邸を幾重にも取り囲んだ。そのマスコミと茂雄の担当医師の橋渡しをしたのが、長男の一茂であった。
一茂は、茂雄の容態について、定期的に報告をし、茂雄が監督として指揮を執れる状態ではないことを詳しく説明した。そのかわり、茂雄の魂だけはアテネに連れていきたいと、大きな日の丸に3の文字を父に書かせ(背番号3は茂雄の巨人での背番号。永久欠番)、その旗を野球日本代表に託した。
[編集] 年度別打撃成績
年度 チーム 背番号 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
1988年 ヤクルト 3 88 206 187 14 38 9 1 4 22 3 0 1 17 1 59 .203
1989年 69 163 156 12 39 7 1 4 15 1 0 1 6 0 29 .250
1990年 35 57 54 6 9 2 1 1 6 0 0 0 3 0 15 .167
1991年 67 172 149 12 33 8 2 4 18 1 0 1 21 1 44 .221
1992年 1軍出場なし
1993年 巨人 36 56 153 134 12 29 6 1 1 12 3 0 2 17 0 42 .216
1994年 46 32 29 5 5 1 0 1 1 0 0 0 3 0 7 .172
1995年 1軍出場なし
1996年 23 60 56 4 8 2 0 3 8 0 0 0 3 1 19 .143
通算 384 843 765 65 161 35 6 18 82 8 0 5 70 3 215 .210
[編集] 書籍
三流 (幻冬舎文庫 2002/4/25 構成・文 石川拓治) ISBN 4-344-40226-X
[編集] 出演
[編集] バラエティー
料理の鉄人(1993年10月〜1999年9月、フジテレビ)
さんまのSUPERからくりTV(1998年4月〜現在、TBS)
スポーツMAX(1998年9月〜2005年9月、日本テレビ)
独占!!スポーツ情報(2000年4月〜9月、日本テレビ)
THE独占サンデー(2000年10月〜2002年9月、日本テレビ)
わたしはあきらめない(2002年4月〜2004年3月、NHK)
もしも体感バラエティ if(2002年10月〜2004年3月、フジテレビ)
はぴひる!(2004年4月〜9月、TBS) 水曜日担当
スポんちゅ(2005年10月〜2006年9月、日本テレビ)
報道STATION(2006年4月〜、テレビ朝日)
NEWS ZERO(2006年10月〜、日本テレビ) 水曜日担当
K-1 GRANDPRIX(不定期、フジテレビ)
[編集] ドラマ
なにさまっ!(1998年10月〜12月、TBS) 東良介役
ザ・ドクター(1999年7月〜9月、TBS) 神崎俊太郎役
オードリー(2000年10月〜3月、NHK) 錠島直也役
新・お水の花道(2001年4月〜6月、フジ) 五郎役
逮捕しちゃうぞ(2002年10月〜12月、テレビ朝日) 中嶋剣役
水戸黄門 (テレビドラマ)(2003年、TBS) 三剣一風役
サラリーマン金太郎4(2004年1月〜3月、TBS) 山田龍平役
義経(2005年1月〜12月、NHK) 藤原国衡役
アストロ球団(2005年8月〜10月、テレビ朝日) 沢村栄治役
マグロ(2007年1月4日、5日 テレビ朝日)
[編集] 映画
ミスター・ルーキー(2002年、東宝) 大原幸嗣役
男たちの大和/YAMATO(2005年、東映) 臼淵磐役
[編集] CM
太田胃散
明治製菓
三菱UFJ信託銀行 『キャッチボール篇』 『会話篇』 (長嶋茂雄と共演。)
全日本空輸 『ノックで中国篇』 『記者会見篇』 『試合篇』 『チャレンジ篇』
三菱自動車工業 (ミツビシミテカラ『宣言篇』以降、すべてのCMの最後のシーンに登場するようになった。) (2006年9月14日 - )
『SUV告知篇』 (2007年4月3日 - )
理研ハウス
[編集] 関連項目
関根潤三
八重樫幸雄
若松勉
杉浦享
水谷新太郎
角富士夫
尾花高夫
荒木大輔
栗山英樹
桜井伸一
広澤克実
秦真司
柳田浩一
伊東昭光
荒井幸雄
内藤尚行
飯田哲也
土橋勝征
中西親志
鈴木平
加藤博人
川崎憲次郎
[編集] 外部リンク
NAGASHIMA KAZUSHIGE.COM
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1987年ドラフト指名選手
1位:長嶋一茂 / 2位:忰田幸也 / 3位:鈴木平 / 4位:池末和隆 / 5位:中西親志 / 6位:城友博
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カテゴリ: 日本の野球選手 | 野球解説者 | 立教大学野球部の選手 | 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 | 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 | 日本のタレント | 日本の俳優 | アクション俳優 | 東京都出身のスポーツ選手 | 1966年生 | 過去のバーニングプロダクション系列所属者
夏の甲子園を彩る長嶋三奈&PR女子高生はここで語れ!
長嶋三奈はなぜ結婚式に出席しないのか?
やっぱりおかしいよなあ〜、あの家。
いくら仕事が入ってるからって、実兄の婚礼だぜ。
もしかしたら、出席したくない(できない)ことをカモフラージュするためにわざわざパリ取材の仕事なんか入れた?
それから、問題になってる他の姉・弟は出てました?
長嶋三奈
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長嶋 三奈(ながしま みな、1968年6月3日 - )は、東京都大田区出身のスポーツキャスターで、テレビ朝日スポーツ局に勤務している。日本大学文理学部哲学科卒業。父は読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄、兄はタレントの長嶋一茂。弟はレーシングドライバーの長嶋正興。
[編集] 来歴・人物
1991年にテレビ朝日入社。スポーツ局で記者として活動し、「ニュースステーション」(スポーツコーナー)や「熱闘スポーツM18」のキャスターを務めた。2000年3月に一度退社したが、2001年2月に契約社員として職場復帰した。
夏の全国高校野球選手権大会のダイジェスト「熱闘甲子園」にも出演中。テレビ朝日の方針により旧字体である「嶋(島)」の字が使えないため、テレビ等では「長島三奈」と表記されることが多い。ただし、父親の茂雄や実兄の一茂の場合は「長嶋」と表記することもある。
[編集] 出演番組
ナンだ!?
熱闘甲子園
全英オープンゴルフ(スタジオ進行役)
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長嶋一茂
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人物に関する記述について
本人が公開としていない個人情報(本名、生年月日、出身地など)の記述、顕著な活動をしていない親族(親戚、兄弟姉妹、配偶者、子供など)についての記述、出典が無いあるいは信頼性の乏しい出典による潜在的に論争となりうる記述、特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する記述、などを見つけたら、速やかに除去した後、ノートにて報告および議論のうえ、合意を形成してください。詳しくは存命人物の伝記やプライバシー問題に関してを参照してください。
長嶋 一茂(ながしま かずしげ、1966年1月26日 - )は元・プロ野球選手(三塁手)。株式会社読売巨人軍球団代表特別補佐、タレント、俳優、スポーツキャスター、野球評論家。ナガシマ企画所属。旧表記:「長島」。東京都大田区田園調布出身。妻は事務所のマネージャーで双子の娘がいる。
4人兄弟の長男で、父は読売ジャイアンツ終身名誉監督・アテネオリンピック・野球日本代表チーム監督の長嶋茂雄。弟はレーシングドライバーの長嶋正興、末妹はキャスターの長嶋三奈。
母方の先祖に相撲の力士(六代目柏戸。最高位は前頭二枚目)がいると、テレビ東京の番組で自ら語っていた。
目次 [非表示]
1 略歴
2 来歴・人物
2.1 父と同じ立教大学出身
2.2 ヤクルトに入団・ミスター2世の重圧
2.3 父のいる巨人へ移籍・親子鷹・怪我との戦い
2.4 コーチに暴言・そして父から戦力外通告・引退
2.5 他球団の監督への波紋
2.6 堀内恒夫との確執
2.7 引退後にスポーツキャスターへ
2.8 パニック障害との闘い
2.9 俳優としても開花・K-1に造詣
2.10 タレントとしての活動
2.11 アテネ五輪での大役他
2.12 巨人にアドバイザーとして復帰
2.13 父との共演
3 エピソード
3.1 ドーピングを告白
3.2 父の伝説
3.3 大学時代と選手時代
3.4 父への親孝行な行動
4 年度別打撃成績
5 書籍
6 出演
6.1 バラエティー
6.2 ドラマ
6.3 映画
6.4 CM
7 関連項目
8 外部リンク
[編集] 略歴
身長・体重:183cm 88kg
投打:右投右打
出身地:東京都大田区
血液型:B型
球歴・入団経緯:立教新座高等学校 - 立教大学 - ヤクルト(1988年 - 1992年) - 読売巨人(1993年 - 1996年) - タレント - 巨人球団代表特別補佐(2005年 - )
プロ入り年度・ドラフト順位:1987年(1位)
英語表記:NAGASHIMA
守備位置:三塁、一塁、外野
中学時代、200m走で大田区の新記録を出した
[編集] 来歴・人物
[編集] 父と同じ立教大学出身
立教大学のOBであることから、小学校からの立教ボーイであると思われがちだが、実際は立教に入ったのは高校から。田園調布中学校、群馬県吾妻郡六合村にある白根開善学校中等部で中学時代を過ごした。高校受験では桐蔭学園高等学校にも合格したが「父親と同じ立教で野球をやりたい」と、立教高等学校(現・立教新座高等学校)に進学した。
[編集] ヤクルトに入団・ミスター2世の重圧
1988年、立教大学からヤクルトスワローズにドラフト1位で入団し、プロ初安打をホームラン(神宮球場での巨人戦、相手投手はビル・ガリクソン)で飾り、『ミスター2世』として注目を集めた。しかし、「ミスター2世」の重圧もあってか、守備でエラーが目立つなど、長期的には成績が振るわず、野村克也監督が就任した1990年以降は出場機会が減少する。野村監督が毎日行うミーティングで一人だけメモを取らないなど、ID野球にまったくついてこられなかったことや選手としてやる気がなかったため、首脳陣からもほとんど相手にされなかった。1992年にはマイナーリーグ・1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学したため、出場機会がなかった。当時オーナーだった桑原潤と野村監督ら首脳陣はその時点で事実上「戦力外」の烙印を押した。
[編集] 父のいる巨人へ移籍・親子鷹・怪我との戦い
1992年秋には、球団から戦力外の烙印を押され、父・茂雄が監督に復帰した巨人へ金銭トレードで移籍(野村監督は父に面倒を見てもらえばいいと思い放出したと思われる)。1993年、巨人に移籍すると、1994年には持ち前のムードメーカーぶりでチームのリーグ優勝、日本一に貢献した。“親子鷹”と騒がれるも、このころには右肘・左手首・右足の怪我が極度に悪化し、1993年秋に渡米して手術。ある程度の回復を見るも、右肘の状況は相変わらず悪いままで成績も振るわなかった。
[編集] コーチに暴言・そして父から戦力外通告・引退
1996年、球団から引退勧告をされ、選手として崖っぷちに立っていた。当時打撃コーチだった河村健一郎からも「やる気がなかったらシーズン途中でもやめろ!」と戦力外の烙印を押されていた。また、巨人ファンからも「来年は田園調布の少年野球のコーチか?」と、やじも飛んだが、シーズン序盤は守備固め等で見せ場を作っていたが、徐々に成績が降下。そして選手としての人生を奪う決定的な事件を起こしてしまう。土井正三コーチから「バントをしろ」と言われたことに対して、「いらねぇよ!何様なんだよ!あんな奴!!」と暴言を吐いてしまい、球団から罰金50万円と二軍落ちと無期限出場停止処分を受けた(本人は冗談半分で発言したと語っているが、それをほかの選手や首脳陣に聞かれたためである)。球団フロントの聴取を受け、「確かにそういう言動をした。ただ思わずクチをついたものだった。前日エラーもあったし、バント練習がうまくいかず自分に腹が立っていた」と釈明した。
同年、日本シリーズ終了直後に、監督で父親の茂雄から「お前は来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告され自由契約となった。自由契約となる最大の理由は、暴言事件で球団オーナーの渡邊恒雄をはじめ首脳陣が怒ったためと言われている。(ただし渡邊オーナーは「代わりに罰金を払ってやってもよい」と発言したとも言われる。)なお、戦力外の通告は家のリビングで行われた。茂雄も現役を続行させたい気持ちがあり、自由契約にした。広島・近鉄・オリックス・日本ハムから獲得の意向があったが、やはり、右肘の状況は悪く、「これ以上、怪我で迷惑掛けたくない」と言い、現役を引退した。不整脈も引退の原因と言われていたが、後にパニック障害であったことを明かした。(後述)
[編集] 他球団の監督への波紋
他の球団の監督も一茂の戦力外を聞いて他球団の監督への波紋が広がった。
戦力外になった事を聞いた当時ヤクルトの監督だった野村克也は「何とも言いようがない。でも(長嶋)監督はよく決断した。巨人は伝統があるし、高いレベルが要求されるからな。」とまずコメントし、「(一茂が)ヤクルト復帰?アホか!パリーグの何処かが取るに決まっとるやろっ!」と再獲得をしない意思をしめすコメントも述べ、スポーツ紙で一茂に対する思いを語った。また、同い年で同僚だった古田敦也も池山隆寛らも一茂の心中を察したのかノーコメントだった。
ダイエー(現・ソフトバンク)監督の王貞治も「長嶋さんの息子の獲得は厳しいね。長嶋さんにも苦労を掛けているしね。」とダイエーも獲得に乗り出さなかった。
中日の監督だった星野仙一は「ミスターの息子は使えんよ。うちはいい選手もおるし、来ても守備が出来る所はないよ。」と中日も獲得しない意向を示すコメントを語った。中日も立浪和義・大豊泰昭らと言った内野手がいた事やポジション争いが激化しており、星野も一茂を使い辛いと見抜いていたと思われる。
阪神の新監督に就任した吉田義男も記者から一茂を戦力補強で獲得するのかの質問に「長嶋さんの息子さんの獲得は難しいですね。うちは資金難やからね。」と阪神も獲得しないコメントを語った。阪神も桧山進次郎・新庄剛志らと言ったスター選手がいた事や仮に獲得しても代打要員しか使えなかったはずである。しかし、その6年後に「ミスター・ルーキー」に一茂が主演で出演し、ある意味「阪神」でプレーした。
ロッテの新監督に就任した近藤昭仁も「獲得する意向はない。実力さえあれば、何らかの形で起用出来るのだが、お父さんにも苦労を掛けて来たんだからね。」とロッテも獲得しないコメントを語った。
横浜監督の大矢明彦も西武監督の東尾修も「長嶋監督の息子は使い辛いし、要らない。」と獲得に乗り出さなかった。
一方で、手を差し伸べる球団もあった。
オリックス監督の仰木彬は「代打要員でもどうかな?」とコメント
近鉄監督の佐々木恭介は「是非、取ってみたい選手」とコメント
日本ハム監督の上田利治や広島監督の三村敏之も「代打なら使えそう」とコメント。
この様にオリックス、近鉄、広島東洋、日本ハムが一茂に興味を持っていたが、結局一茂が引退した為、実現には至らなかった。
[編集] 堀内恒夫との確執
堀内恒夫とは、犬猿の仲である(理由は現役時代に成績が振るわなかったにもかかわらず、ほかの選手と合コンによく行っていたために当時投手コーチだった堀内が激怒したためと言われている)。
[編集] 引退後にスポーツキャスターへ
その後はスポーツキャスターとなり、1997年〜1998年にフジテレビの『プロ野球ニュース』(週末)、1999年〜2002年に日本テレビの『独占!!スポーツ情報』(のちの『THE独占サンデー』)の司会を担当した。
[編集] パニック障害との闘い
2002年から2年間に渡ってNHKのインタビュー番組『わたしはあきらめない!』の聞き手役も務めた。パニック障害を経験したとして同番組にゲスト出演した田中美里に対し、自身も1996年以来同病の経験があり、プロ野球選手として活動中にはバッターボックスにたてなくなったこと、また現在(放送当時)も同病に悩まされることがあることを告白。同病についてのエピソードは、以降に出演した『たけしの本当は怖い家庭の医学』や『オーラの泉』などでも紹介されている。
[編集] 俳優としても開花・K-1に造詣
俳優業も行い、2000年は『NHK朝の連続テレビ小説・オードリー』に出演して(時代劇の剣士役)、好評を博し、俳優としての地歩を固める。2002年は映画『ミスター・ルーキー』・2005年には『男たちの大和/YAMATO』・2004年は、TBSの『サラリーマン金太郎4』、テレビ朝日の『逮捕しちゃうぞ』、2005年の『NHK大河ドラマ・義経』等に出演。役者として演技力を評価されている。
また、極真空手の経験者でもあり、その経験から、フジテレビのK-1中継の司会をつとめている。番組企画で魔裟斗と戦い、失神したこともある。
[編集] タレントとしての活動
『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)ではレギュラー解答者のほか、『知識の泉』のコーナーに出演。西村知美、松嶋尚美、浅田美代子らと共に天然ボケを活かし爆笑トークを展開する。2004年、『さんまのSUPERからくりTV』の中で打倒・松岡修造を目的に明石家さんまらによって結成された『からくりテニス同好会』のメンバーになる。
2004年4月、田中律子、磯野貴理子とともにTBSのお昼の生放送番組『はぴひる!』の司会を務める。だが、視聴率が低く、残念ながら半年で打ち切りとなってしまった。
引退後、日本テレビ系独占スポーツ情報!に定期的に出演していた。その際に、相手チームの選手がファインプレーで巨人のチャンスを摘み取ったのを見て、「敵ながら見事」と思わず漏らしたことがある。当時は巨人のフロントではなく、敵という表現に対して非難が多数寄せられた。
出演履歴は、後述の一覧を参照。
[編集] アテネ五輪での大役他
2004年6月6日、アテネ五輪の聖火ランナーを務める。 2004年6月16日に双子の女児が誕生した。父の茂雄にとっては待望の初孫である。このことは本人が司会を務めるお昼のテレビ番組の中で本人の口により発表された。 2004年、日本テレビのアテネ五輪中継のキャスターに選ばれた。
[編集] 巨人にアドバイザーとして復帰
2005年1月1日より渡邉恒雄球団会長の推薦で読売新聞グループ本社社長室付けスポーツアドバイザー、並びに巨人球団代表特別補佐(アドバイザー)として招聘されることになった。なお、これまでどおり、スポーツキャスター・解説や俳優業は継続する。なお、成績が今ひとつであった巨人OBが球団代表補佐に就任したことは極めて異例だが、現在もほかの巨人軍OBや巨人ファンの間では賛否両論の声がある。 なお、東京六大学野球(早大出身)および巨人の大先輩である広岡達朗が週刊誌で自身を批判したことを弁護士に相談し内容証明郵便で警告書送付した。
[編集] 父との共演
2006年、三菱UFJ信託銀行のCMに父・茂雄との親子共演を果たす。
[編集] エピソード
[編集] ドーピングを告白
前述のキャスターをつとめたアテネ五輪を総括する特集番組では、ドーピング再検査問題の渦中にあったアヌシュについて語る際、「僕も現役時代にステロイドによるドーピングをしていた。検査で何度かひっかかったこともある」と告白。続けて「確かに筋力は増すが簡単に野球の成績に結びつくものではないし、ドーピングは大したことではないと思う。しかし基本的にはフェアではないし体にも悪いことなので再検査命令にはすぐに応じるべきだ」と話した。
[編集] 父の伝説
一茂は小学生の頃、神宮球場でのヤクルトVS巨人戦を父・茂雄と一緒に見に行ったのだが、その手に汗握る試合展開に興奮した茂雄は、なんと連れてきた一茂を球場に置き去りにして帰ってしまう。信じられない話であるが、家に帰って妻に言われて気が付いたのだという。茂雄は慌てて神宮球場に電話をしたところ、一茂は審判室に保護されていた。しかも球場に忘れられたのは1度ではないらしい。
父・茂雄の引退試合を、歯医者に行っていたため見届けることができなかった。
[編集] 大学時代と選手時代
1993年4月23日に、セ・リーグ通算3万号となる記念本塁打を放つ。
1994年5月、巨人在籍中、当時のチームメイトである槙原寛己が完全試合を達成した際は三塁を守っており、キャッチャーよりも先に真っ先に彼に抱きつく。
大学に入るまでカップラーメンを作ったことが無く、大学一年のとき先輩に作ってこいといわれたものの作り方がわからず、容器を壊してなべに入れて作った。
大学ではそのキャラクターゆえか、人望も厚く、キャプテンに選ばれた。また、同級生の池山隆寛をはじめ、チームメートや同級生からはいわゆる「いじられ役」で人気者でもあった。
ヤクルト時代に志願して落合博満と自主トレを行なった際、長嶋家より差し入れとして銀座千疋屋のメロンが届く。一茂がそのメロンを二つ割りにして種を取り、ブランデーを注いで一気に食べる姿を見た落合夫妻は、「子供はこのようにのびのびと育てなきゃいけない」と話し合った と、落合夫人がインタビューで語っている。
[編集] 父への親孝行な行動
2004年3月、父・茂雄が脳梗塞で倒れる。当時、茂雄は野球日本代表監督として、プロ野球12球団の春季キャンプ視察、講演、テレビ出演など休み無く活動を続けていた。その疲れが原因だと言われている。茂雄の病状は重症で、彼の容態を知りたいマスコミが、長嶋邸を幾重にも取り囲んだ。そのマスコミと茂雄の担当医師の橋渡しをしたのが、長男の一茂であった。
一茂は、茂雄の容態について、定期的に報告をし、茂雄が監督として指揮を執れる状態ではないことを詳しく説明した。そのかわり、茂雄の魂だけはアテネに連れていきたいと、大きな日の丸に3の文字を父に書かせ(背番号3は茂雄の巨人での背番号。永久欠番)、その旗を野球日本代表に託した。
[編集] 年度別打撃成績
年度 チーム 背番号 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
1988年 ヤクルト 3 88 206 187 14 38 9 1 4 22 3 0 1 17 1 59 .203
1989年 69 163 156 12 39 7 1 4 15 1 0 1 6 0 29 .250
1990年 35 57 54 6 9 2 1 1 6 0 0 0 3 0 15 .167
1991年 67 172 149 12 33 8 2 4 18 1 0 1 21 1 44 .221
1992年 1軍出場なし
1993年 巨人 36 56 153 134 12 29 6 1 1 12 3 0 2 17 0 42 .216
1994年 46 32 29 5 5 1 0 1 1 0 0 0 3 0 7 .172
1995年 1軍出場なし
1996年 23 60 56 4 8 2 0 3 8 0 0 0 3 1 19 .143
通算 384 843 765 65 161 35 6 18 82 8 0 5 70 3 215 .210
[編集] 書籍
三流 (幻冬舎文庫 2002/4/25 構成・文 石川拓治) ISBN 4-344-40226-X
[編集] 出演
[編集] バラエティー
料理の鉄人(1993年10月〜1999年9月、フジテレビ)
さんまのSUPERからくりTV(1998年4月〜現在、TBS)
スポーツMAX(1998年9月〜2005年9月、日本テレビ)
独占!!スポーツ情報(2000年4月〜9月、日本テレビ)
THE独占サンデー(2000年10月〜2002年9月、日本テレビ)
わたしはあきらめない(2002年4月〜2004年3月、NHK)
もしも体感バラエティ if(2002年10月〜2004年3月、フジテレビ)
はぴひる!(2004年4月〜9月、TBS) 水曜日担当
スポんちゅ(2005年10月〜2006年9月、日本テレビ)
報道STATION(2006年4月〜、テレビ朝日)
NEWS ZERO(2006年10月〜、日本テレビ) 水曜日担当
K-1 GRANDPRIX(不定期、フジテレビ)
[編集] ドラマ
なにさまっ!(1998年10月〜12月、TBS) 東良介役
ザ・ドクター(1999年7月〜9月、TBS) 神崎俊太郎役
オードリー(2000年10月〜3月、NHK) 錠島直也役
新・お水の花道(2001年4月〜6月、フジ) 五郎役
逮捕しちゃうぞ(2002年10月〜12月、テレビ朝日) 中嶋剣役
水戸黄門 (テレビドラマ)(2003年、TBS) 三剣一風役
サラリーマン金太郎4(2004年1月〜3月、TBS) 山田龍平役
義経(2005年1月〜12月、NHK) 藤原国衡役
アストロ球団(2005年8月〜10月、テレビ朝日) 沢村栄治役
マグロ(2007年1月4日、5日 テレビ朝日)
[編集] 映画
ミスター・ルーキー(2002年、東宝) 大原幸嗣役
男たちの大和/YAMATO(2005年、東映) 臼淵磐役
[編集] CM
太田胃散
明治製菓
三菱UFJ信託銀行 『キャッチボール篇』 『会話篇』 (長嶋茂雄と共演。)
全日本空輸 『ノックで中国篇』 『記者会見篇』 『試合篇』 『チャレンジ篇』
三菱自動車工業 (ミツビシミテカラ『宣言篇』以降、すべてのCMの最後のシーンに登場するようになった。) (2006年9月14日 - )
『SUV告知篇』 (2007年4月3日 - )
理研ハウス
[編集] 関連項目
関根潤三
八重樫幸雄
若松勉
杉浦享
水谷新太郎
角富士夫
尾花高夫
荒木大輔
栗山英樹
桜井伸一
広澤克実
秦真司
柳田浩一
伊東昭光
荒井幸雄
内藤尚行
飯田哲也
土橋勝征
中西親志
鈴木平
加藤博人
川崎憲次郎
[編集] 外部リンク
NAGASHIMA KAZUSHIGE.COM
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1987年ドラフト指名選手
1位:長嶋一茂 / 2位:忰田幸也 / 3位:鈴木平 / 4位:池末和隆 / 5位:中西親志 / 6位:城友博
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カテゴリ: 日本の野球選手 | 野球解説者 | 立教大学野球部の選手 | 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 | 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 | 日本のタレント | 日本の俳優 | アクション俳優 | 東京都出身のスポーツ選手 | 1966年生 | 過去のバーニングプロダクション系列所属者













